塗装と塗料③ ~VOC排出抑制の歴史と環境に配慮した塗装〜 2024年10月18日
自主的取り組みと創意工夫が効果を発揮してきました。
塗装と塗料についてお話しするシリーズも最終回になりました。今回は塗料から発生するVOC(揮発性有機化合物)が環境に与える影響と、VOC排出抑制の取組みや環境に配慮した塗装、そして塗装に代わる技術についてお話しします。
前回の記事 塗装と塗料② 〜塗料の種類と機能〜
前々回の記事 塗装と塗料① 〜塗料の歴史を振り返ってみよう〜
VOCとは
VOCは何の略?
VOCとは何か、あらためてお話しすると「Volatile Organic Compounds(揮発性有機化合物)」の略で、沸点が低い有機化合物のことです。揮発しやすく、常温で気体になりやすい性質を持っています。塗料や溶剤に含まれるトルエン、キシレン、酢酸エチルなど、主な物で約200種類のVOCが知られています。
VOCは環境に悪影響のある光化学オキシダントやSPM(Suspended Particulate Matter、浮遊粒子状物質)の原因物質の一つです。また、室内ではシックハウス症候群をひき起こすことなどが分かっています。
浮遊粒子状物質(SPM)とVOC
SPMとは大気中に浮遊するごく小さな粒子状の物質のことで、粒子の直径が10㎛以下のものを指します。気体や液体として存在する有機溶剤が粒子であるSPMの原因になるとはちょっと想像しにくいかも知れませんが、大気中で化学反応を起こして粒子化し、SPMと光化学オキシダントを生成することが近年分かってきました。
ちなみにニュースなどで良く耳にする「PM2.5」もSPMの一種です。粒子の直径が2.5㎛以下のものがPM2.5で、とても小さいため肺の奥まで入り込んで健康被害をひき起こします。
コラム 悪いオゾンと良いオゾン
光化学オキシダントはOxとも呼ばれ、主な成分はオゾン(O3)です。春から夏にかけて、晴れた風のない日などに大量の光化学オキシダントが発生すると、空気に靄がかかったような光化学スモッグと呼ばれる現象が起こります。光化学スモッグは刺激性があるため、目や喉の痛みなどの健康被害をひき起こします。
一方で、私たち地球上の生き物を紫外線から守ってくれる「オゾン層」も同じ物質から出来ています。そのため成層圏にあるオゾン層は「良いオゾン」と呼ばれ、その下の対流圏に溜まってスモッグを発生させるオゾンは「悪いオゾン」と呼ばれています。
大気汚染防止法とVOC排出抑制
大気汚染の発生とVOCが注目されるまで
大気汚染の歴史は古く、経済が発展して工業用の石炭が大量に燃やされるようになると、世界各地で大気汚染による被害が起こるようになりました。日本もまた明治維新後の工業化や高度経済成長によって大気汚染が深刻化しました。当初の対策や規制の対象は石炭や石油を燃やして発生するススや硫黄酸化物(ばい煙)でした。VOCが注目され、規制されるようになるのはもう少し先のことです。
1970年に東京で光化学スモッグの発生が明らかになり、その後も各地で光化学スモッグが発生すると、大きな社会問題になりました。光化学オキシダントが生成される過程は複雑でしたが、まずは工場や自動車に対して、原因物質の一つである窒素酸化物の排出抑制が行われました。
また、SPMの対策としては自動車の排ガス抑制策が実施されてきましたが、どちらの施策も深刻な大気汚染を解決するには至りませんでした。大気汚染の原因物質の研究が進み、VOCが光化学オキシダントとSPM双方の原因物質であることが明らかになってくると、抑制策が図られるようになってきました。
VOC排出抑制政策のベスト・ミックス
2004年に大気汚染防止法が改正され、光化学オキシダントやSPM対策の一環としてVOCの排出が規制されるようになりました。この時の改正法の内容は2通りの発生抑制策を組み合わせた「政策のベスト・ミックス」と呼ばれるものです。
VOCは主な物で200種類ほどとお話ししましたが、物質の種類が非常に多く、VOCを発生させる産業は多岐に渡ります。またVOCがSPMや光化学オキシダントを発生させる過程も複雑で、不確実性が避けられないことから、一般の事業者に対しては一律に抑制策を適用させるのではなく、自主的な排出抑制の取り組みと創意工夫を促す内容としました。
その一方で、VOCの排出量の多い施設は環境への影響が大きく、社会的責任も重いため、法規制によって確実に排出抑制を進めることとしました。ちなみに、法規制の対象となる施設とは、化学品製造・塗装・接着・印刷・洗浄・ガソリン等貯蔵の6つの類型の施設のうち、大規模なものです。例えば吹付塗装を行なう施設では、排風機の排風能力が100,000㎥/h以上の施設が該当します。
このような限定的な法規制の適用と自主的取り組みの促進という、従来の公害対策にない新しい考え方で双方の相乗効果を発揮させることを目指したのが2004年の改正大気汚染防止法です。それまでの窒素酸化物の排出抑制策が工場と自動車の双方に厳しい規制を課すものだったのとは対照的でしたが、大きな効果を発揮し、2004年以降VOC排出量の推計値は大幅に減少しています。
諸外国と日本の取組み
日本のVOC排出量の推計値は大幅に減少しましたが、光化学オキシダント濃度の環境基準達成には程遠い状況です。自主的取り組みの効果は一定の評価を得ているものの、今後、より厳しい基準が導入される可能性があります。
日本以外の国の規制はどうなっているでしょうか?アメリカの各州、ヨーロッパ(EU加盟国)各国は日本同様に部分規制と自主的取り組みを組み合わせた対策をとっていますが、排出基準値は日本より厳しくなっています。(アメリカでは州ごとに対応が異なり、基準値が設定されていない州もあります。)中国では自主的取り組みよりも規制に重点が置かれており、排出基準値はヨーロッパや米国よりもさらに厳しくなっています。
VOC削減の取組み例
VOC排出規制対象の6つの施設にも名前があげられているように、塗装工場はVOC発生源の多くを占めています。塗料やシンナーだけでなく、洗浄剤や表面処理剤、塗膜の剥離剤(リムーバー)なども有機溶剤を含み、VOCの発生源になります。
ただし、塗装業界もまた自主的にVOC排出量削減に取り組んできました。塗装工程でのVOC排出量削減に関する取組み例をご紹介します。
自動車(完成車)塗装工程の取組み
水性塗料の採用
前回の記事でお話ししたように、塗装の最先端である自動車(完成車)塗装では、有機溶剤を含まずVOC排出量の少ない水性塗料の開発と採用が進んでいます。
自動車補修業界の取組み
熟練の技術による塗料使用量削減
完成車塗装と同じく、自動車補修工程においても塗料使用量削減の取組みがされてきました。水性塗料の使用が難しくとも、熟練の塗装技術によって無駄になる塗料やシンナー、VOC排出量を減らすことができます。
熟練者と非熟練者では塗料使用量に最大で2倍の差が出ると言われています。仮に塗料使用量を半分にすることができれば、VOCの排出量も半分になります。
その他の塗装工程の取組み
静電塗装による塗料使用量の削減
溶剤系塗料を使用する場合でも、使う塗料の量が少なければ、その分塗料から発生するVOCの排出量を減らすことができます。塗料の節約はコスト面でのメリットも大きく、取組みが進んできました。
静電塗装は溶剤系塗料にも水性塗料にも使える技術ですが、エアスプレーに比べてオーバースプレーや跳ね返りが少なく、塗料使用量やVOC排出量を大幅に削減することができます。
VOC処理装置
塗料やシンナーから発生したVOCを外気に放出しないよう、焼却して分解し、無害化する方法があります。無害化と同時に脱臭も出来るため、塗装ブースや乾燥炉に組み込んで使われています。
粉体塗料の採用
溶媒に水を使った水性塗料に加え、溶媒を使わない粉体塗料もまた、VOC排出量が少ない塗料です。スチール家具や家電製品、機械部品、建築資材などの金属塗装に採用されています。
「塗装をしない」選択肢
これまで塗料使用量の削減や低VOC塗料採用の取組みをご紹介してきましたが、そもそも塗料を使わなければVOCを発生させることはありません。「塗装をしない」という選択肢についてもご紹介します。
塗装以外の表面処理技術には多くの方法がありますが、「塗膜」に注目すると大きく二種類に分けることができます。
塗装代替技術
フィルムを貼るなど、塗装以外の方法で塗膜を作る方法は塗装代替技術と呼ばれ、自動車外装での利用が良く知られています。これらは塗料を吹き付ける「ウェット塗装」に対して、「ドライ塗装」とも呼ばれています。
バンパーなどの樹脂部品の場合は、成形と同時にフィルムを張り付ける「フィルムインサート成形」が可能です。ボディやドアの鋼板などの金属部品の場合は、成型後に貼り付ける方法が採用されます。
フィルムによる自動車外装はラッピングカーやラッピングバスなどの期間限定の用途で使われてきましたが、これらは後ではがせるようにしたもので、完成車塗装に使うには耐久性に課題がありました。この点でも改良が進んでいます。
塗装レス技術
塗装に変わって塗膜を作る技術である塗装代替に対して、塗膜そのものを作らない表面処理技術は「塗装レス技術」と呼ばれます。加工しやすい樹脂で取り組みが進み、塗装レス樹脂は自動車の外装・内装用の双方で実用化されています。
樹脂に比べると金属の塗装レスはハードルが高いと言えるでしょう。樹脂で金属調の部品を作る「金属代替」で多くの金属部品が樹脂化されましたが、自動車のボディなどは樹脂での代替が難しく、塗装が必須とされてきました。
自動車業界はこの問題にも積極的に取り組んできました。それだけVOC排出量削減やカーボンニュートラル達成に向けたプレッシャーが強かったとも言えるでしょう。ダイハツが軽自動車「コペン」でドア以外の外板すべてに樹脂を採用したモデルを発売したのは既に10年も前、2014年のことです。コペンでもドアだけは金属を採用していましたが、塗装レス鋼板の開発も進んでいます。自動車全体が塗装レスになる未来も遠くないかも知れません。
まとめ
3回にわたって塗装の歴史や塗料の種類、塗装と環境問題についてお話ししてきました。はるか昔から人と共にあった「塗装」は、絶え間ない塗装技術の進歩や塗料の改良を重ねて現代にいたります。
現代の塗装工程は地球環境にも大きな影響を与える存在になりましたが、改正大気汚染防止法の精神にもある通り、自主的な取り組みと創意工夫で環境への影響を低減してきました。今後も一層の技術の進歩が期待されます。その一方で、塗装そのものの代替技術も飛躍的に進歩しています。今後の動向に注目していく必要があると言えるでしょう。