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塗装と塗料① 〜塗料の歴史を振り返ってみよう〜 2024年1月26日

塗装には人類と共に歩んできた歴史があります

塗装の歴史は古く、人類は古代から自然の塗料を使って「塗る」作業をしていました。塗料は絵を描いたり、色を付けたりする目的で使われるほかにも、腐食防止や抗菌などの効果を持っています。塗料の進化や環境の変化に伴い、塗装に求められることは大きく変わってきています。

本シリーズでは3回に渡って、塗装や塗料について解説します。第1回は、時代に合わせて進化してきた塗料の歴史を紹介します。

人類が塗料を使い始めたのはいつ?

 

フランス南部からスペイン北部に多く残る洞窟壁画

フランス南部やスペイン北部には、旧石器時代に描かれたと思われる洞窟壁画が多く残っています。中でも有名なのは、世界遺産にもなっている北スペインのアルタミラ洞窟の壁画と、フランス南西部のラスコー洞窟の壁画です。

牛やイノシシ、馬、トナカイなどの動物の画が、黄色や赤色、オレンジ色などの鮮やかな色彩で描かれています。絵具には鉱物を水で溶いたもの、煤(すす)を水で溶いて黒色にしたものなどが使われていました。

アルタミラ洞窟の壁画もラスコー洞窟の壁画も、本物の壁画は劣化が進んでしまい、保護のため非公開になっています。近隣の博物館に精巧なレプリカが展示され、観光名所になっています。

アルタミラの洞窟壁画のレプリカ


コラム 「世界最古」の壁画を描いたのはだれ?

「世界最古」と呼ばれる芸術には、世界最古の動物画や世界最古の洞窟画など、たくさんのものがあります。その中でもスペインの3つの洞窟で発見された壁画は大変に古いものです。2018年に科学誌サイエンスに掲載された論文によると、放射性年代測定法で検視した結果では、少なくとも6万4,800年前のものであると特定されたそうです。

現生人類がアフリカからヨーロッパに到着したと考えられているのは、その2万年後です。壁画を描いたのは現生人類ではなく、ネアンデルタール人だった可能性があります。もし壁画を描いたのがネアンデルタール人であれば、彼らはこれまで考えられていたよりはるかに高い知能を持ち、文化や芸術を理解していたことになります。今後更に研究や探索が進み、新しい「最古の芸術」が発見されるのが楽しみになりますね。

パタゴニアの世界遺産「手形の洞窟」

ユーラシア大陸以外にも先史時代の芸術作品があります。南米大陸の南の端、アルゼンチンのパタゴニア地方にある世界遺産「クエバ・デ・ラス・マノス(手形の洞窟)」は印象的な遺跡です。たくさんの手形が残され、中には9000年程前に描かれたものもあるそうです。この壁画を描いた先住民の伝承は途絶えてしまっているため、なぜ手形を残したのかは推測するしかありませんが、成人になるための通過儀礼だったのだろうと言われています。

この壁画には当時の塗装の工夫の跡が多く残されています。色の付いた土や動物の脂から塗料を作り、それらを口に含んで動物の骨をストローのようにして手の上から吹き付け、手形を描いていたと推測されています。左手の壁画が多いのですが、動物の骨を利き手の右手に持って吹き付けていたのではないかと言われています。

パタゴニア地方は荒涼とした乾燥地帯ですが、今も生息しているグアナコなどの動物や、狩りをする人や使われた道具も精密に描かれています。厳しい環境で生き抜いた人々の暮らしを、今の私たちに伝えてくれています。

「手形の洞窟」


日本の塗料のはじまり

日本最古の塗料は「漆」

日本最古の塗料は、現代でも使われている漆です。漆の利用は縄文時代にまでさかのぼり、漆を塗った木片、器、櫛などが日本各地で発見されています。世界最古の壁画と同様に日本最古と呼ばれる漆器も新たな発見があるたびに更新されていますが、いずれにせよ日本で最も古い塗料が漆であることに変わりはありません。

漆は長きにわたり、食器や工芸品、建築にも使われてきました。平安時代の奥州藤原氏の栄華を伝える中尊寺金色堂には、平泉の名産だった金と漆がふんだんに使われています。平泉に今も伝わる「秀衡塗」(ひでひらぬり)は藤原氏三代の秀衡が作らせたのが始まりと言われています。

漆器は今では高価ですが、耐久性と防水性、抗菌性も備えた丈夫な器で、何代にもわたって使うことができます。お正月用の漆塗りの重箱を代々大切に使っている方もいらっしゃるのはないでしょうか。

コラム 海を渡った日本の漆器

漆器が英語でジャパンとも呼ばれているのをご存知でしょうか。南蛮貿易や長崎貿易で、金や銀などの輸出品と共に海を渡ったのが日本の漆器です。当時のヨーロッパでは黒檀などの木材の輸入をきっかけに黒が流行していましたが、艶のある黒い塗料は貴重品でした。なんと象牙を焼いた贅沢な顔料が使われていたそうです。それに比べて安価でありながら美しい艶のある日本の漆器は大変珍重されました。

日本の隣の中国でも漆器の技術を持っており、西洋人との貿易は日本より先に始まっていましたが、当時から中国では黒が好まれず、高級品の漆は赤漆だったという事情があったそうです。ちなみに陶器はチャイナやボーンチャイナなどと呼ばれていますね。美しい漆器と共に食事を楽しみながら、海を渡った器に思いをはせてみるのはいかがでしょうか。

日本の塗料の発展

日本には漆以外にも伝統的な塗料があります。渋柿のタンニンを利用した柿渋、松を燃やして出た煤(すす)の松煙墨(しょうえんぼく)、丹塗り(にぬり)に使う鉛丹(えんたん)や弁柄(べんがら)などです。漆のように粘着性のない塗料には、動物の骨や皮からつくる膠(にかわ)を混ぜて使われました。

柿渋は木材の防腐効果があり、法隆寺や薬師寺などの寺社にも使われています。江戸時代の風情ある街並みに見られる黒塀には、柿渋に松煙墨を混ぜた塗料が塗られています。

鉛丹は酸化させた鉛、弁柄は酸化鉄を使った塗料で、ともに赤い塗料として使われました。弁柄塗りは経年劣化に強く、鉛丹のような毒性もないため、古くから器の彩色や建物の塗装に使われてきました。弁柄の生産地である岡山県高梁市の備中吹屋には昔の建造物が残り、「ジャパンレッド発祥の地」として日本遺産に認定されています。

黒船の到来と油性塗料の普及

油性塗料が日本に来たきっかけは?

現在広く使われている油性塗料が日本で使われるようになったのはいつでしょうか。ヨーロッパではルネサンス頃から油絵具が普及していました。また18世紀に起きた産業革命で鉄素材の利用が広まり、鉄の塗装に向いた油性塗料が使われるようになりました。

日本にも南蛮貿易や出島での貿易を通して油絵などが入ってきたことがあるようですが、普及には至りませんでした。大きくかわるきっかけは1853年のペリーの来航と、その翌年の日米和親条約による開国です。

ペリーの黒船には、日本にはなかった油性塗料が使われていました。その後油性塗料の輸入が始まり、横浜、長崎、神戸などに洋館が建てられた際には洋式の油性塗料が使われました。当時油性塗料は大変高価なものだったようです。

油性塗料の国産化へ

1860年代から油性塗料の輸入が始まりましたが、国産初の洋式の油性塗料「ペンキ」が開発されたのは1879年と言われています。その後、1881年には日本初の塗料工業会社である現在の日本ペイント株式会社の前身にあたる会社が設立され、油性塗料の国内製造が本格的にスタートしました。

ちなみに、日本の特許第一号は塗料です。船底用の錆止め塗料が1885年にはじめて特許として認められました。原材料は漆や柿渋など、日本古来の塗料を配合したものでしたが、防錆と防汚に大変優れた性能を備えていたそうです。

塗料の発展

ラッカー塗料とスプレーガンの登場

アメリカでは1800年代の後半から乾燥の速いラッカー塗料が登場し、スプレーガンを使った塗装による自動車の大量生産が行われるようになりました。日本でも1926年にアネスト岩田が国産第一号のスプレーガンを製造し、ラッカー塗料の普及と塗装の技術革新が一気に進むようになりました。

その後、1950年代半ばに石油化学の発展により多くの合成樹脂が誕生しました。現在も使われるシリコン塗料、アクリル塗料などの合成樹脂塗料が次々と登場したのです。日本の高度成長期でもあり、塗料の生産量が一気に拡大しました。

自動車塗装、船舶塗装、建築塗装など、それぞれのニーズに対応した塗料が生まれ、耐久性や効率性、色彩や光沢など塗膜の性能も飛躍的に向上しました。きめ細かな商品開発やクオリティの高い仕上がりを求める几帳面な国民性もあり、日本は世界的に見ても、高機能・高水準の塗料生産国になっています。

環境や人体に配慮した塗料の開発

近年の塗料は、塗膜の性能向上だけでなく、環境や人体に配慮する方向で開発が進んでいます。代表的なものは、揮発性有機化合物(VOC)の排出量が少ない塗料の開発です。

きっかけは1958年から1959年頃、化学物質ベンゼンの毒性による中毒事件が起こった「ヘップサンダル事件」が社会問題化したことです。事件後すぐにベンゼンを含むゴム糊の製造・販売が禁止されたのを皮切りに、1960年には労働基準法の特別規則として有機溶剤中毒予防規則が制定されました。1972年には労働基準法から分離独立した労働安全衛生法が制定され、労働者の健康被害防止のためにVOC排出について厳しく規制されるようになりました。

コラム 「ヘップサンダル事件」

1954年に日本で劇場公開された映画「ローマの休日」は大ヒットし、オードリー・ヘップバーンのヘアスタイルやファッションが大流行しました。ヘップバーンが履いていたサンダルも大人気になりましたが、日本で販売されたサンダルの多くは家内工業や内職で作られていたものでした。

サンダルの製造時には有毒なベンゼンを含む接着剤が使われており、さらに悪いことに作業は風通しの悪い部屋でおこなわれていたため、作業者や作業者の家族にまでベンゼン中毒による再生不良性貧血が多発しました。1958年には大阪で、翌年には東京でも死者が発生し、大きな社会問題になりました。

まとめ

旧石器時代から使われてきた塗料。時代に合わせ、さまざまな機能を持つ塗料が開発されてきました。近年は、機能性はもちろん、人体や環境にも配慮した塗料の開発が進んでいます。 次回は、現在使われている塗料の種類や特徴について解説します。